■近頃では、高校生のうちに車の免許を取る人もいるようです。私が高校生だったときも、3年になったら免許を取る人が結構いました。しかし、私はわりと免許を取るのが遅く、大学の2年のときに取りました。
物凄い短期スケジュールで、たしか2週間くらいで取ったんですが、やっぱり免許はスピーディーに取得するのが一番いいと思いますよ。中には、1年近くも自動車学校に通って取る人もいるみたいですけど、車の運転は基本的に慣れですから。とにかく短期的に車に接する時間を作って、一気に慣れてしまう。長い時間をかけても、結局、教習所で車に乗る時間はほとんど同じですからね。
数学者で、大道芸人でもあるピーター・フランクルさんも、これと同じような考え方を持っているそうです。今調べて分かりましたが、日本名は富蘭 平太と言うらしく、ちょっとイメージと違いますね。
彼は子供の頃から、とにかく勉強ができたらしいですが、その勉強法はというと、「1週間ひたすら同じ科目(同じ分野)をやる。そして、次の週は違う科目。ただ、その1週間は徹底的に1つの分野を学び、一生忘れないと言うくらいに確実に身につける」のだそうです。
つまり、一生続く短期集中講座。まあ、彼は天才と言っていいほどの頭脳ですので、私のような常人では真似できないことかもしれませんが。でも、徹底した短期集中で、あれだけの功績を残す人もいるということは、やはり効果のあることなのでしょう。
■とまあ、免許の話から入ったんですが本題はここからで。
以前、「頭文字D」の劇場版を見ました(ちなみに頭文字と書いてイニシャルと読みます)。
劇場版には、アニメのものと実写版のものがあります。両方見ました。アニメのほうはちょっと前に上映されたもので。実写版はわりと最近。
アニメの劇場版は、特に問題なく楽しんで見ることができたのですが、問題は実写版のほう。
インファナル・アフェアのスタッフを中心として作られたそうなのですが、まずなぜ登場人物が韓国や香港の役者なのか。原作は完全に日本の話なので、全て日本人にするのが自然だと思うんですけど。日本人で登場するのは、まるでオマケのような扱いを受けている鈴木杏だけで、ほかは全て韓国or香港。スタッフが韓国&香港の出身だから、自分の国の俳優を使いたいという気持ちは分かりますけど、それにしても原作とあまりにかけ離れています。
それプラス、かけ離れているのはなにも役者達だけではありません。ストーリーも全然だめ。
映画では、原作の1話目から、主人公の藤原拓海が高橋涼介率いる最速チーム「Project D」に入るまでのストーリーなんですけど(読んでない人には、ちょっと分かりにくい!)、明らかに詰め込みすぎ。なにせ、アニメでは39週もかけてその部分をやるので。たった2時間の映画に、アニメの39週分を詰め込んでしまっていて、いくらなんでもやりすぎです。
まあ、500ページ上・下巻、合計1000ページの原作を2時間の映画にしてしまうハリウッド映画も似たようなものだと言ってしまえばそれまでですが。それにしても、1つ1つのストーリーの醍醐味がほとんど失われていました。別に、本編とは別のストーリーでも、全く問題なかったはずなんですけど。
それに、キャラクターのよさもまったく無視されている。たとえば、藤原拓海の父:藤原文太は、無口な豆腐屋だけど、それでいてドライビングテクニックは物凄いという人物設定だったのに、映画ではノンダクレの女好き親父として登場しています。それに、拓海の親友:いつきに関してはもうメチャクチャで、なぜか藤原文太の友人:立花祐一の息子という設定になっています。しかも、髪型がおかしい。
また、高橋涼介と中里毅が友人なのも変な話しだし。中里毅は、スカイラインGTRに乗っているんですけど、彼は原作ではドリフトが嫌いで、グリップ走行(F-1のように、見た目は普通に曲がるテクニック)にこだわっているのですが、これが超ド派手なドリフトをやっている。中里毅のテクニックに関するこだわりは、彼の人間性を語る上でかなり重要な部分なのに、なぜそこを無視してしまうのか。
■と、ここまで実写版イニシャルDの嫌なところを挙げてきたんですが、本当の本題はここからで。
劇中に嘔吐するシーンが何箇所か出てくるんですが。その、嘔吐物がとてもリアルに描かれているんです。本当に嘔吐しているんじゃないかと思うような、生々しいものでして。
先日、映画は真実をちゃんと表現するべきだといったようなことを書きました。ならば、嘔吐するシーンもよりリアルに表現するべきではと思ったりもするのですが、この場合はちょっと違います。
人が日本刀で斬られるシーンとは、つまり人が死ぬことを意味します。人間が死ぬシーンを、映画とはいえそんなに簡単なものにしていいとは思えません。もちろん、ホラー映画のように、それ自体を楽しむようなものはちょっと意味合いが変わってしまいますけど。残酷なものは残酷に表現するべきだと思います。
今のクラブはチカチカしているから、これを全くチカチカしないシーンにしてしまうと、事実とは全く違うことになってしまうし。スパイダーマンのスピード感を表現するには、やはり画面を素早く動かす必要があるでしょう。
しかし、嘔吐するシーンをリアルに表現したからといって、何がどうなるのか。大人になれば1度くらい嘔吐することがあるだろうし、今さら「吐くと、こんなものが出てくるんだよ」と教えられるようなものでもありません。
どうしても、製作者の品性が下劣であるとしか思えないんです。
ホラー映画で、極端に残酷な表現は意味がないと思いますけど。戦争映画や時代劇で人が死ぬシーンを、単なる1つの決まりごとのように見せてしまうのは、それだけで罪だと思う。
そして、製作者の品性は観客にはどうすることもできませんが。おもしろがっているのか、気付いていないのか、嘔吐なんて特に意味のないシーンをリアルに見せる感覚を持っている監督に映画を作ってほしくない。
ついでにもう1つ言うと、ハリウッド版ゴジラの前半に日本人の船員が出てくるんですが、それが明らかに日本人ではない。これもまた韓国か香港の役者です。なぜ、あえて日本人を使わず韓国人を使うのか、理由が分かりません。
表現は人それぞれかもしれませんが、意味のない表現を使って目新しさだけを狙うのはやめてほしいと。明日、スパイダーマン3を見に行く予定なので、映画について考えているとこんなことを思い出した私なのでした。
■今日はこのへんで。
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